4日目|ベッドを組み立てて寿司を食べる

9:30頃に目を覚ます。外は大雨だったけれど、食べ物がなかったので近所のパン屋に行く。帰りの道すがら、ふと目にしたソーセージ屋に連れが興味を示したのでついていく。一般論として、こういう細かいところでいちいち抗うことに実りは少ない。人の心は簡単には折ってはいけない。

14時ごろにベッドが届く。そもそもこれの組み立てのために僕は呼び出されていたのであった。大きい家具は組み立て式が安いけれど、大きければ大きいほど、素人の組み立てだと歪みが出てしまう。今回も何か所か面が揃わなかったり、浮いてしまう場所が出てしまった。

ベッドが組みあがり、引っ越しの荷物を片付けたのち、夕飯を食いに街に出る。組み立て作業のお礼に寿司をおごってもらった。店内は座席を間引きして営業していたけれど満席。注文したメニューが全然来なくておかしいと思ったが、帰りに伝票を見たらそもそも記載がない。ホールの子がオーダー用の端末を使わず、暗記で済まそうとしていたからこうなる。

夜が眠れなくなるのは嫌なのでお酒は控えめに。2人で1合の日本酒を半分ずつ飲んだ。

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東京に引っ越してそろそろ1年という頃、掛け捨てのがん保険に加入した。加入に際して保険の営業マンをしていた父さんに相談すると、不安を解消するために保険に入るのだから、その目的に適うようなメニュー選定をすればいいとアドバイスをもらった。

不安を想像する。

毎月の医療費が払えない? いや、高額療養費制度があるから、保険治療の範囲なら支払額はキャップされている。

誰かにお金を遺さないといけない? いや、残念ながら今の僕は誰かのためにまとまったお金を準備する必要がない。

がんになる。通院ベースで治療が長く続く。病気の影響か、はたまた薬の副作用か、気力や体力が低下する。 就労ができず、収入が途絶してしまう。生活保護の支給額では心もとない。 僕はひとりで生きていくことになるだろう。だから、自分で自分の暮らしが支えられなくなることが、僕にとって一番避けたい事態だった。

結局、通院治療を行っているあいだ、ずっと生活費程度の給付金が支給される保険に加入した(あとは、保険適用外の治療に使える給付金を付けた)。 不安を定量化して検討したわけではないし、他の人から見ると合理的ではない選択に見えるのかもしれないけれど、保険証券が届いたときに安堵感を覚えたことが忘れられない。これでとりあえず、自分が病気になったら・・・という課題はいったんクリアしたとみなしてよいだろうと思ったのだ。

今年度に入って、貯金が続くようになった。これまでも何度か試みては、その度に挫折してきてオケラになっていたけれど、たぶん今回は続く。

これまで挫折を繰り返してきたのは、目的が定まっていなかったからだ、と今になって思う。何のために金を稼ぐのか。何のために金を貯めるのか。いい暮らしがしたいといっても、たかが知れている。金を貯めるといっても、目的がなければ際限がない。加入する保険を選ぶときと一緒で、自分が達成したい目的が先にあって、それに適う程度が、貯めるべき金の具体的な金額になるということに、31歳になってようやく合点がいった。

自分の将来を想像する。五体満足に過ごすことができれば、65歳か70歳ごろに退職する。そのあと、いくら振り込まれるか分からない厚生年金と、預金を取り崩しながら暮らす生活が始まる。期間は長くても30年ほど。

僕は歳を取っても、現在程度のこぎれいな暮らしは維持したいと思った。生活水準が分かればおおむね必要な額が把握できる。厚生年金の支給見込み額も示されている(確からしさには目を瞑る)。すると、厚生年金の支給額との毎月のギャップが分かる。このギャップの総額から逆算すれば、毎月貯めるべき目標額が求められる。

今の給与明細を見る。楽々というわけではないが、今の稼ぎでも貯められないことはなさそうだった。その額を満たすように、iDeCo、つみたてNISA、個人年金保険投資信託の積立を設定する。 hayatoito.github.io

一通りの設定を終えたあと、保険に加入したときのような安堵感を覚えた。加えて、大きな脱力感も。

稼ぎの額を規定するのは「現在使う額」プラス「将来取り崩す資産を形成するために毎月積み立てるべき額」だと定式化したときに、現段階で目標が達成できるということは、これ以上やることがない、ということと同義だった。

思えば、「ねばならない」で駆動する人生だった。 僕が背負っている十字架は、これ以上人生を導いてくれることはない。とてもありがたいことではあるが、ここから先は、自分で歩みを進めるよりほかない。