51日目

6:15頃に起床。慌てて身支度をしてスイム練に向かう。

6:45-8:00でスイム練。普段はビルドアップのメニューだけど、今日は珍しくビルドダウンだった。体力のある最初がキツく、後半になると楽になるのだけど、最初に飛ばしているので後半も決して楽ではない。 2003→1006→50*16のセットがメインで、total 2,400mほど。

0845-2045で仕事。債権管理で導入する事業者の案を整理していた。おそらく、僕の書きぶりで導入業者が決まる。だから、自分が自信をもって判断を人に伝えられるように考えを整理したいと思うのだけど、そうするとやたら細かい仕事になってしまう。。。

仕事の後半は、売掛保証会社に提出する審査資料の作成。最初だけのことだと思って我慢するが、Excelのセルを1マスずつ埋めていくのはえらい時間がかかる。

一人だったら間違いなく終電コースだったが、夕飯を待っている旨のメッセージが届いていたので21時ごとに帰宅。これは共同生活のよい面だと思う。

帰宅したら夕飯づくり。昨日の仕込みと余った食材で適当に。3人分だと、なにを作ってもすぐに消費される。。

50日目

8時ごろに起床。同居人たちはもう起きている。低いテンションのままコーヒーを淹れ、荷物開きを再開。一人暮らし3軒ぶんの食器と食材を展開し、仕分けし、思い入れのあるものとよいものを残し、残りを処分に回す。量も多く、たっぷり正午過ぎまでかかって作業完了。

昼飯は久しぶりに自炊。未利用の食材がかなり多かったので、食材を回転させる意味でも当面は優先的に乾物を消化したい。この日は賞味期限を1年以上切らしたきしめんを同居人Iと食べる。酸化が進んでいるのか、一緒に煮た人参の色素を取り込んだのか、麺の色がやたら褐色で不安だが完食。

午後からは重い腰を上げて、ずっと返信をサボっていた副業の事務を片付ける。2週間以上放置していたメールであり、やらなくてはいけないけれどやりたくなく、しかも誰からも指摘されないようなことはやらないんだなと再確認。再発防止策は「嫌でもえいやでやってしまう(溜めれば溜めるほど嫌になる)」、「そういう仕事をなるべく回避する(やりたい仕事を中心に選ぶ)」ぐらいか。

嫌々ながら渋々ながら書類を返送し、商品マスタを返信し、19:00ごろに家を出て買い物に向かう。ホームセンターで追加の消耗品を、スーパーで生鮮品を調達。久しぶりの生鮮品に心が躍る。

21時前に帰宅して料理。勤務時間も食べる/食べないもバラバラな3人の食事をうまくローテで回すためにはどうしたらいいのだろう。この日はとりあえず常備菜をタッパーに小分けしてみた。副菜は50gぐらいで切り分けてみたけれど、ちょうどいい具合。あとは、3人だと作ってもすぐになくなるので、いかに効率よく調理できるかが今後の課題。

49日目

同居人たちがゴソゴソと起きだしたので6時前に起床。6:30-8:00でスイム練。BCAAの飲み忘れか、睡眠不足か、最初飛ばしすぎたからか、後半はバテバテで千切れてしまった。メニューは以下のような感じ。

upとか諸々1,000m 300m1, 150m2, 100m*4 * 2set total 3,000m

8:30-18:30で仕事。債権回収の新実施案の詰め作業と、選定候補の業者とのやり取りを数件。

18:30-20:00でホームセンターに買出し。新居に必要な諸々を買い集める。

夕飯は同居人Tが持ち込んだレトルトソースとパスタを食べ、引き続きリビングの段ボール箱開き。同居人たちが帰ってきたタイミングで缶ビールを2本。一人で暮らしていたときはビールなんて飲まなかったのに、人がいると嬉しくてつい缶を開けてしまう。

48日目

7時ごろに起床。身支度をして8時過ぎに家を出る。

引越の1件目は同居人Iの家から。家を訪れると全然片付けができておらず、思わずキレ散らかしてしまう。ちょっと怒りすぎたと反省もしているが、引越屋さんも「マジかよ・・・」という顔をしていたので、やむを得なかったと思いたい。

10:30頃に1件目の引っ越しがあらかた終わり、ドコモバイクで同居人Tの家まで移動。こちらの家はきちんと箱詰めができていたし、家具の解体もできていた。搬出作業も30分程度で終了。

11:30頃にドコモバイクで門前仲町まで移動。コンビニで引越屋さんに差入するクオカードを買って、最後は自宅からの荷物搬出。きっちり荷造りはできているのだけど、僕の家が一番荷物が多い。住んでいるマンションも戸数が多いので、エレベーターや廊下などの養生も手間がかかる模様。搬出作業は1時間程度。

自分のロードバイクに乗り換えて、12:30頃に新しい部屋に移動。3件分の荷物だけど、最後はなぜか引越屋さんの作業員が9名体制になっていたので2時間弱で搬入が終了。

搬入を終えてからひとまずマクドを食べて昼休憩として、後は黙々と箱の中身を取り出す作業。20時ごろまで片付けをしてこの日は打ち止めとし、同居人Iとつけ麺を食べて近所の銭湯に行って一日を終了。日付が変わる頃に就寝。

47日目

10時ごろに起床。

ひたすら荷造りをする。引越屋さんから段ボールを20枚(大10、小10)をもらったけれど足りず、友人に頼んで大10枚を手配してもらう。

引越を機に物を捨てようと思ったけれど、思ったよりも捨てられない。壊れた物干し台とダンベル、洗濯機、冷蔵庫、オーブンを廃棄したけれど、あとは小さめのガラクタがいくつかと、古い洋服を数枚捨てるにとどまった。

細かいところまで荷物を積め終えたのが24時ごろ。その後、うっかりwikipediayoutubeの沼にハマって、寝たのは27時ごろだった。

46日目

8時ごろに起きる。8:30に友人宅へ向かう約束をしていたが、どう考えても間に合わない。

のそのそと起きたのち、東陽町までレンタカーを借りに行く。その後、清澄の友人宅で冷蔵庫・テレビ・電子レンジ・洗濯機を積み込み、さらに僕の家で洗濯機を積み、電子レンジ・オーブン・テレビを下ろし、残った家電を新木場の指定廃棄業者さんのもとへ持ち込む。気のいい現場のおっちゃんだった。

友人と昼食を摂り、レンタカーを返却したのちに荷造り。あらゆる引き出しから続々と荷物が出てくるが、一向に終わる気配がない。

17時過ぎに家を出て18時に日比谷のランステに。チームの同僚に転職相談をしたくラン練に誘う。皇居を2周したあと新橋の飲み屋に。いいお店なのに、土曜日の夜なのに全然お客さんが入っていない。。。

同僚は会計系の専門職で、僕の次のキャリアとして管理部門/財務部門を歩むとしたら、どんな仕事をすることになるのかというイメージを膨らませたくて話を聞いた。曰く、 ・監査法人は慢性的な人手不足。平均年齢の高い業界でもあり、いまからでも資格があればなんとかなる ・4大のFASはサービスラインごとに細分化されており、同じ業務を続けることになる。とはいえ大手ファームであり、社全体として蓄積されたナレッジに触れられることは、サービスの水準を知ることができるのは有意義 ・TA系はFASとMCの中間でコーディネーターをやっているような印象。悪い意味ではないが、基本的には銀行にyesを言わせる再生計画を作ることが第一であり、その目的のしたにマネジメントやオペレーションへの手入れが従属する構造であるため。 ・サービスもインダストリも今から総とっかえして専門コンサルに挑むのは、それをやりたいという動機があればいいけれど、待遇をよくしたいとか将来の目標のための修行であるとか、そういった動機であれば、ハードワークに耐えられないのではないか(同僚個人の意見として)。

なんだかんだで2件目も言って23時ごろに解散。いままでちゃんと飲んで突っ込んだ話をしたことがない相手だったので、とても良い時間を過ごせた。

46日目

筋肉痛である。起きたら9時ごろ。今日ものんびり10時ごろに出社。

10:30から銀行さんとMTG。超大手行だけあってメニューも体制もしっかりしているが、手続きも価格も超大手行クラスで、とても当社では手が出せない。。政治的な事情があったとしても、これでは手が出せないねとシステム部隊のMgrと会話。

流れでほぼ1年ぶりにシステムのMgrとまともに仕事の話で雑談。彼も社長のスピード感と意思決定の方向性にはうんざりしているようで(「やっぱり一度仕上がっちゃうとね、目線が僕らと違うよね」)、 現行の業務の文脈に依存しない事業にリソースを振りたそうな顔をしていた。今はねらい目かもしれない。

午後イチで上司と1on1。直近の業務状況の共有、残業時間チャージの話、9月以降の業務についてなど。仕事に対するスタンスが整理されてきたので、最近は心穏やかだし、前向きな話ができているように思う。

夕方に債権管理関係でちょっと大きめのMTG。もはや平時の担当者もMgrの同席もなくて、当社からの出席は僕だけ。相手方は担当者とMgr。BtoBの商談なので基本的に和やかなんだけど、まったくイケてない提案だったので、婉曲的にこれでは厳しいっすと伝えて終話。いったん当社側で揉んだ内容を以て再度MTGを持つことに。

18:30頃に退社し、明日廃棄する特定家電のリサイクル券を購入に郵便局へ。特定4品目(テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコン)を自分で持込処理するときには郵便局でリサイクル料金を払い込んだ後、指定の廃棄業者まで自賛する必要があるのだけど、払い込みは郵便局に限定、しかもゆうちょ銀行の日付印取得が原則(取得できないときは払込票の明細コピーを添付)、おまけにメーカー×機器で料金が異なるので100ページぐらいあるカタログのクロス票から読み取る必要があり、しかも記入用紙が5枚複写になっているなど、国民に実施させる気のない難易度の高さだった。